ブルースを歌い旅するアントニオ杉岡

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zoom RSS 終の棲家(その1)

<<   作成日時 : 2017/05/30 00:03   >>

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母の葬儀、初七日も無事終わり、少しずつ気持ちの整理もついてきました。
葬儀の際にお世話になった方々に改めて御礼を申し上げます。
ほんとうにありがとうございました。

11年前の父に続き、今回、母が他界し両親が亡くなり、改めて自分がこの世に生を受け両親の愛情のもとで成長してきた、生きてこれたということを再認識しました。
もう60年もたってしまったのですが・・・

そこで改めて考えたことは、自分の故郷、生まれ育った場所ということでした。
私の父は常磐炭鉱に勤務しており、私は生まれも育ちも内郷の炭鉱長屋でした。
父の出世に伴い長屋を転々としたのですが、私の記憶にあるのは、保育園時代の内郷前田、小学生から中学生まで暮らした内郷桜本、高校生時代に暮らした内郷浜井場の炭鉱住宅。
今振り返れば、貧しくも楽しい生活だったように思えます。
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そして、私が今住んでいるところは平中神谷、妻の実家です。
炭鉱住宅で育ち、結婚してからは市営住宅で約15年暮らしましたが、38歳の時に妻の強い後押しがあり一念発起して購入した家(平下神谷)が私の終の棲家であると思っていました。
その家で二人の子供を育て上げ、その後、夫婦二人きりで過ごした日々は多少寂しくもありましたが、心穏やかに過ごせる場所でありました。
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しかし、思いもよらない変化が私に押し寄せてきました。
それは、自宅の売却、妻の実家の建て替え、長男夫婦との同居でした。
自分としては想像もしていなかった展開であり妻の実家に住むことはこれまでの経緯から自分としては二の足を踏むところがあったのですが、義母の体調や息子夫婦の私たちに対する思い等を考えれば、最善の選択と考え、妻の実家の建て替えを選択しました。

建て替えから約1年5カ月、ようやくDIYで取り組んだ外構も完成に近づき、自宅も落ち着いてきました。
紆余曲折はあったけれど、この家が私の終の棲家となりそうです。
炭鉱住宅育ちの私には終の棲家のイメージが薄く、この年になってもあまり実感はないのですが、建て替えに際しても私なりに拘り、その後、約1年をかけて外構をDIYしたこの自宅が私にとって居心地の良い、本当の意味で終の棲家になることを心から祈っています。

約1年間を費やし完成に近づいている我が家は・・・
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長くなったので、続きはまた(その2)ということで。



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内 容 ニックネーム/日時
お世話さまです!久々覗かせていただきました。杉岡さんのファミリーストーリー染み入りました。炭鉱ぐらし〜現在の暮らしの変遷には並々ならぬ苦労があったのだと思います。こういったバックボーンが音に表れるのだと思います。生意気すみません。
ランブリン前田
2017/07/06 22:12

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